なみのりとむのサーフィン・サファリ日記

アフリカ、ギニア湾岸在住。毎週末の波乗りがサーフィン・サファリです。

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アフリカに持っていく、たった一本のサーフボード(その2)

【なみのりとむのアフリカ・サーフィンサファリ日記】第8話 アフリカに持ってきたサーフボード(その2)

なみのりとむです。出稼ぎ先のアフリカで、サーフィンサファリなお話。週末、連休、波より日和に、ぼちぼち連載してます。

きょうのお話は、前回の続き。

前回のお話↓

第7話 アフリカに持っていく、たった一本のサーフボード(その1)

3年ちょっと前、アフリカ行きが決まってからの大きな悩み。たった一本だけ、アフリカに持っていけるサーフボード。さて、どれにするか?

悩みに悩み、テスト、選考を繰り返した結果、選ばれたのは、、、

リッチパベル、ツインキールLokboxフィン5’6選手となった。

数あるチョイスの中から選ばれた精鋭?!ボロボロになっても惜しくない「リッチパベル選手」を抱えて、いざアフリカへ。さて見知らぬブレイクで、その性能はいかに?

・・・それが、アフリカに着くなり、海は「おあずけ」となってしまった。というのも、この西アフリカの、しかもまさにここギニア湾岸で、イスラム武装組織が海岸リゾートを襲うテロが発生。20人が命を落とす惨事となった。

こちらの国の政府や、大使館から、しばらくの間、海岸地域への渡航自粛が出されてしまったのだ。

あちゃー。三度のメシよりサーフィンのなみのりとむ。波乗りしないなんてありえない。潮風受けなくては、干からびてしまう。しかしテロ事件となればやむをえない、、、。葛藤の末、半年近く、テニスなどという、柄にもあわないスポーツに興じることとなる。

しかし時とともにテロ事件も人々の記憶から遠ざかっていく。頃合いをみて、いよいよ海に向かった。

そして初めて眺めたこの地の波は、、、

ギロチンダンパーの最悪なものだった。むこう何年になるかわからないが、この波でサーフしないといけないのか?!目の前が真っ暗になった笑。

しかしこちらの記事でも綴ったように、ここで心折れては負け犬だ。波乗りをとにかく続けることを決意する。

第3話 ギロチンダンパー

そして最初の一年くらいは、こちらの波で、なんとか波乗りをするのがやっとだった。なみのりとむは、日本では、ほぼリーフブレイク専門。超難しいこちらのビーチになれるところから始めなければならない。残念ながら板の評価を下しているところではなかった。

気づかされたことは、テイクオフの難しさ。特に波はでかくて、早くて、巻いてくる。ゆえにテイクオフゾーンが極めて狭い。その上、ブレイクは気まぐれで、おまけに驚速カレント。だから、あらかじめよいポジショニングにいることができない。それでテイクオフがさらに難しくなる。

それからカレントと押し寄せるスープで、パドルが苦しい。アウトに出るのに、ドルフィン20回とかでは効かない。そしてパドルにスピードが乗らない。

・・・たった一本だけの大事な相棒。くそッ、板のチョイスを間違えた、、、。そんなことばかりを考えた。

しかし程なく、それが思い上がりだということに気付かされた。ダメなのは板ではなく、間違えなく自分だった。日本でぬくぬくと優しい波でサーフィンごっこをしてきた、自分のヌルさこそが、この板の性能を引き出せていないのだと。自分を厳しく戒めた。

それから先、いろいろなことをやってみた。テイクオフの見直し、パドル改革、ドルフィン千本ノック。特にパドル姿勢と位置の矯正、ビーチで波を見極める目、巻いてくる波への対処、デカ波に打ち勝つドルフィン、そしてメンタル。サーフ日誌もつけるようになった。

さらに、肉体改造。贅肉を落とし、筋力をアップする肉体改造に取り組むことにした。酒をやめ、食事を変え、筋トレとケガ防止のストレッチに励んだ。体重は10キロ近く落ちた。(このことはまた別に詳しく書きたいと思う)。

まだ劇的な成果が見えないそんな頃、日本に一時帰国する機会がめぐってきた。この時、不覚にもこんな邪念が生まれてしまった。

「もう一本板を持ってくるチャンス!」

その日からというもの、アフリカからネットを通じて、またまた板の物色の日々が始まった。やはり強力カレントに勝つため、もう少し浮力があったほうがいいのではないか。早い波のテイクオフに、さらに長さを取ったほうがいいのではないか。

・・・結局、手持ちの板の中から、よりによってアルメリックのFishcuit 5’10をチョイスしてしまった。

一時帰国からアフリカへの帰途。羽田空港で、ボードを持ってチェックインの列に並んでいると「お客様、どちら行きの飛行機に?!バリ行きなら、、、。」←デジャヴだから苦笑。

そのFishcuit。チョイスは明らかに失敗であった。確かにテイクオフが早く、これまで捕まっていた波から抜けられるものもあった。しかし明らかにオーバーフロートだった。直線ラインの長いFishcuitは、しばしばヤバいショルダーでの対応をより難しくした。そして自分のスタイルには、アウトラインの丸いフォイルこそがフィットしていた。

一点だけよかったのは、そのすごいスピード。一旦スピードに乗れば、パベルで捕まってたチョッ速な波も抜けてくれた。クローズしようとするショルダーから、思いっきりプルアウトすると、空中に放り投げられ、滞空時間の長ーいワイプアウトを味わえた。なるほど、こういうパワーのある波でスピードに乗れば、自然にエアーができるんだ。そんなことを学んだ。

しかしFishcuitがミスチョイスであることには変わりなかった。

そんな中、さり気ない変化がひとつ、自分の中で起きた。日本にいる一時帰国の間、波がある日には、浮かなり浮力が少ない、ミニボードでサーフを続けていた。実はこの経験が、アフリカでのサーフィンにすごく効いてきたのだ。浮力に対する懸念の払拭と自信が、アフリカでの波乗りを変えた。

それからというもの、他の板には目を振れなくなった。愛しのパベルちゃん。キミしか見えない。そうなった頃、どうしたことだろう。あんなに苦労していた課題が、少しづつ解決していった。

いまの心情では、こちらにいる当面の間、このパベルだけでいけそうだ。浮力が多少なくとも、テイクオフの遅れ感があろうとも、体と一体となって動くQuiverになってくれたから。それともオレが成長したからなのか?!

しかし、パベルくん、もうボコボコもいいところだ。日本でも長く乗っている板はあるが、たった三年間でここまでボコボコのベコベコになった板はない。当地の波の激しさを物語っている。帰国するときは手放そうと思っていたけど、別れが惜しい。君を置き去りになんて、できないよ。ボコボコのパベルくん、パリ・ダカールラリーを走り抜けてきたパジェロのように、永久保存としよう。

こうして、相棒パベルくんとのサーフサファリは、まだまだ続くのだった。

(つづく)