なみのりとむのサーフィン・サファリ日記

アフリカ、ギニア湾岸在住。毎週末の波乗りがサーフィン・サファリです。

https://blog.tomsurf.com

映画「ビッグ・ウェンズデー」のサーファー的鑑賞〜ジャン・マイケル・ヴィンセント逝去に思う

なみのりとむです。出稼ぎ先のアフリカで、サーフィンサファリなお話。週末、連休、波より日和に、ぼちぼち連載してます。

f:id:tomsurf:20190310032001p:plain きのう、ジャン・マイケル・ヴィンセント逝去のニュースが報じられた。そしてそれはこちらアフリカにも伝わってきた。って、ツイッターで見ただけだけど。

伝説のサーフ映画「ビッグ・ウェンズデー」を知らないサーファーはいないだろう。ジャン・マイケル・ヴィンセントはその主役、マット・ジョンソンを演じた。 f:id:tomsurf:20190309183627j:plain

きょうはこの映画についてついて書かなければならない。そんな気持ちが早った。

映画「ビッグウェンズデー」

f:id:tomsurf:20190310031940p:plain

1978年制作、監督ジョン・ミリアス、119分、ワーナーブラザーズ配給。

サーフィン、友情、時代の変化、そしてKeep surf。さまざまなメッセージが、サーフィンを生きる僕らのハートをくすぐり、時に突き刺す。そしてどこか自分たちの姿を重ねさせる。

映画は、1960年代初頭のカリフォルニアから始まる。マット、ジャック、リロイの三人を中心とした仲間たちが繰り広げる、やんちゃな青春時代からストーリーは始まる。

浜を支配する若者のローカルグループ。恋に、酒に、ケンカに、トリップ。はちゃめちゃな日々は、浜の仲間たちの絆を深くをつなぎ、サーフィンを生きる、彼らの存在そのものとなっていく。オールディズのアメリカン・カルチャーと、クラシックスタイルのロングボードは、古き良きあの時代を美しく映す。

しかし70年代、時代は変わる。ベトナム戦争、反戦、ソウルミュージック、ヒッピー文化。サーフィンにおいても大きな変化が訪れる。板はどんどん短くなり、サーフスタイルもラディカルなものとなっていく。マットたちのスタイルも、存在も、古めかしいものとして押しやられていく。

そして彼らにもベトナム戦争の召集令状がやってくる。

戦地に赴くもの、家族とともにカリフォルニアを離れるもの、仕事に追われ浜から遠ざかるもの。いつしか、多くの仲間たちがその魂に反して、浜を後にすることになる。

歳を重ねて浜で再会する仲間たち。そう、あのビッグウェンズデーがやってくるのだった。そして三人は!伝説のスウェルに向かって、パドルアウトしていく、、、。

自らに重ねる青春像

なみのりとむにも、本当にビデオが擦り切れるほどみたお気に入りのサーフフィルムが4つ、5つある。その中で、映画のストーリーとして深く浸ってしまうのはわずかこの一本しかない。

しばしばサーフフィルムというものは画評を大きく分ける。サーファーにとって絶賛されるフィルムは、しばしば一般市場で酷評される。この映画の一般評も、さほどではなかったという。

多分、サーファーにしかわからないコミュニティ、カルチャー、ほろ甘い思い出、そしてKeep surfの難しさがあるからなのだろう。特に青春をサーフィンに生きたぼくたちにとって、あまりに共感できるものが大きい。やがて歳を重ねるごとに、この映画のメッセージは心に沁みすぎ、胸がひり痛む。

そう感じられるのは、どこか、自分たちの仲間と、生きた青春と、時の流れを、彼らに重ねるからなのだろう。どこの浜にもいる、酔っ払いの中心人物。ベアのような、頼れるようで、弱さを合わせ持つアニキ分。ハメを外して痛い目にあった思い出。グループの対立やケンカ。まるでマットたちの浜で生きたかのように、自分たちの思い出を重ねる。

なみのりとむは、いまアフリカで暮らしている。アフリカに出発する時、仲間たちは自分を、まるでベトナムに出征するジャックのように送り出してくれた。そして時がたって、突然浜に戻ってみると、ジャックが映画の中でそうだったように、そこには何も変わらないビーチの仲間たちがいた。一人は自分にこういった。「よかったなぁ、アーリントンの墓地に埋められるような帰国にならなくて!」

仲間、時の流れ、Keep surf

映画のもう一つのテーマは、時の移ろいとKeep surfだろう。上に貼り付けた予告編動画の中でもこうナレーションが入っている。

'Big Wednesday - . The story of generation...'

浜を支配し、カルチャーをリードしたマットたち。しかしサーフィン・レボリューションがドラスティックに進んだ70年代、彼らは皮肉にも時代遅れの象徴と捉えられるようになる。思い出とともに、スタイルも存在も、セピア色に移ろっていく。時とともに、かつての浜の支配者たちは、それを受け入れるしかなくなってゆく。

そしてあんなに毎週、波乗りをともにしていた仲間も、いつしかひとり、またひとりと、浜を離れていく。

ビッグウェンズデーでも、最後まで浜に残ったのはマットとベアの二人くらいだった。そのマットも浜の常連ではなくなった。ベアはサーフボードの商売で一度は成功し、そして地の底まで転落する。

サーフィンには、多分サーフィンをしない他の人とは、どうしても共有できない世界観があるのだろう。そして特殊な生活スタイルと日課を強要する。仕事や家庭とともに、同じスタイルで20年、30年と波乗りを続けることは、実は簡単なことではないのだ。

2019年、南のうねり

映画の各シーンは、こんなキャプションで始まる。 f:id:tomsurf:20190310032004p:plain

時代の変遷と人生の中に押し寄せる波。時に優しく、時に激しく、時に冷たい。

しかし人の営みは変わっても、波は変わらず寄せては返す。そして、いつしか、ビッグウェンズデーがやってくる。

僕たちサーファーは、リアルな生活と現実の中、いつまでもそれを夢見て、待ち続けていられるだろうか。2019年3月、南のうねり。Keep surf。ジャン・マイケル・ヴィンセントの逝去に敬意と冥福の祈りを。

f:id:tomsurf:20190310032007p:plain

(おわり)