なみのりとむです。出稼ぎ先のアフリカで、サーフィンサファリなお話。週末、連休、波より日和に、ぼちぼち連載してます。
きょうのお題は「リーシュコード」について。
なみのりとむは、もう25年以上も前の若き頃、ショートボードからサーフィンを始めた。その後、ロングボード、しかも超クラッシックなスタイル、ヴィンテージボードでのサーフィンをしばらくやってきた。そしてここ7-8年は超短いツインフィッシュ専門というボード遍歴を経ている。
その中でも、クラッシックスタイルでロングボードをやっていた頃が、技術的には一番うまく波乗りできていた時期ではないかと思う。かなりのサイズの波やジャンク・コンディションでも、10フィートオーバーの重くて長い板をしっかり操って、ほぼミスなくマニューバーをメイクできていた。
その頃、仲間の中で、サーフスタイルに大きな影響を与えてくれた先輩がいた。彼がよく口にしていたこと。それは・・・
「リーシュコードに頼るな」。
当時、操っていたフラットロッカーで、長くて重いビッグボード。もしワイプアウトして板を流すようなことがあったら、板の長さ+リーシュコード で半径7メートルくらいに被害リスクが及ぶ。またピークやカールの中でパーリングしようものなら、周囲への殺人凶器である。
そんなことで、リーシュコードをしてようが、していまいが、板は絶対に流すようなことはあってはいけない。そもそもリーシュカップもなかったボードに乗るところに端を発している、クラッシックスタイルサーフィンの基本でもある。
(注: なみのりとむはもちろんリーシュコード、ちゃんとしますよ!その上で絶対板を流したりしない、ということです。)
それ以降、よっぽどジャンクでクローズなコンディションなら別だが、リーシュコードに頼ったサーフィンをすることはほとんどなかった。その後、板をどんどん短くしていって、4フィート台とか、超短いツインフィッシュになっても、「板を流さない」ことは、自分の中では変わることなき、大きな重要な優先事項になってきた。
若い子たちにも、思わず口走ってしまう。「リーシュコード に頼ったサーフィンをするようではいけない」なんて。
ところが。
当地西アフリカのひどいコンディションで波乗りをするようになり、その考え方を改めなければならなくなった。
ギロチンダンパーのオンショアチョッピー。読めないブレイク。波にやられて、巻かれて、吹っ飛ばされることが日常となってしまった。リーシュコード が限界まで「ビヨ〜ン」と伸びる感覚。リーシュコード を手繰り寄せてボードを回収するようなシーンが日常となった。
自分ではどうにもならない波があることに気付かされた。自分がいかに下手くそか、ということも思い知らされた。そもそもリーフブレイク、ポイントブレイクでのサーフィンばかりをやってきた。驕りがあった。
強気な当地のローカルでさえいう。「ここの波は、頭オーバーの波の中でリーシュが切れたら、助からないと思った方がいい。」
リーシュコードはエマージェンシーにおいて頼るもの。逆に、しばしばリーシュがない方が、ボードとの一体感を強くしてくれたり、絶対流さないという強い決意を生んでくれたりもする。そんな議論もある。その是非はともかく、リーシュがあろうとなかろうと、板は流してはいけない。それが基本である。
他方、キャパシティを超える波にチャレンジを挑む時、リーシュコードの意味が変わる。自分にとっての命綱であり、他の人に危害が及ばないようにする、防波堤ともなる。
こうしてみると、リーシュコードがサーフィンをどれだけ進化させ、サーファーに波への挑戦を許し、逆にわれわれ一般サーファーのボードコントロールの意識を退化させてきたのか。そんなことにも思いを馳せる。
そして重ねて繰り返し自分に言い聞かす。「それでも、リーシュに頼ってはいけない」と。
(おわり)