なみのりとむのサーフィン・サファリ日記

アフリカ、ギニア湾岸在住。毎週末の波乗りがサーフィン・サファリです。

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3.11に思う、ぼくたちの向かう先〜東日本大震災から8年

なみのりとむです。出稼ぎ先のアフリカで、サーフィンサファリな日々。週末、連休、波より日和に、ぼちぼち連載してます。

きょうはお休みの波乗りの日ではありませんが、忘れることのできない追悼の日。特別号です。あれから8年目の3.11、いろいろ考えたことを綴ってみました。

(※この記事には、震災後の被災地の写真が含まれます。閲覧にはご注意ください。)

アフリカからの祈り

東日本大震災から7年が経過した。忌々しい14時46分がやってくる。震災で亡くなられた人々へのレクイエム。そして大きな被害を受けられた方、いまもその被害に向き合っている方々に、改めて心よりお見舞い申し上げたいと思う。14時46分は、こちら、西アフリカの時間では朝6時前の時間だが、早朝から祈りを捧げたい。

なにもかも変えてしまった震災

あの日を境に、あらゆることが大きく変わった。仲間や家族との関係、災害リスクの考え方、海との共生、海の環境のこと。もちろんサーフィンについても。

あの大地震と津波のあと、なみのりとむは、ほどなく災害地に向かった。以前から、災害が発生したらすぐ支援に向かうことにしている。仕事がら、そういうことができる、経験の深い知人たちとネットワークがあり、つながっている。国内のみならず、海外の災害にも何度か駆けつけた。

だがその時ばかりは、以前の災害とは明らかに違っていた。現場に足を踏み入れたときの衝撃はいまも忘れられない。

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震災後の気仙沼市

ただただ、一面の平原に、ひたすら広がる瓦礫の山。そこにあったはずのあらゆるものが、一瞬にして消え去ってしまった。自然の仕業の前に、無力感しか覚えなかった。 f:id:tomsurf:20190311004033j:plain

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陸前高田市の被災状況

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状況調査中のとむ

震災後、少しの間海から遠のいた。国民総自粛みたいな雰囲気の中、サーフィンなどすることは許されない。そんな空気が流れた。しかしほどなく、海にみんなが戻ってくるようになった。自分も戻った。それでもしばらくは震災のトラウマからのがれることはできなかった。

震災以前から、東北にはよくサーフトリップで出かけた。そして毎年、お世話になるビーチができた。今ではたくさんの笑顔で迎えてくれるローカルの皆さん。そのビーチの周辺も、震災では大きな被害を受けた。沿岸の家々は被害を受け、鉄道は寸断されたのだった。

北へのトリップには、オンボロのワーゲンバスで、一般道をとことこ上がっていく。被災地の様子をうかがいながら。震災直後に訪れた、あの現場は、少しでも復興に向かっているのだろうか。

最後にその地を通過したのは、アフリカに出発する前年、2015年だった。その時点で、みちみち、いくつかの「復興事業」を見ることはできた。だが、かつて海と共に暮らしていた人々の生活復旧、町の復興には、程遠い現実があった。いまはどうなっているのだろうか。ぜひ自分の目で確かめたい。 f:id:tomsurf:20190311011902j:plain

原発事故の衝撃

忘れてはいけない。今回の大震災があまりに特殊なのは、原発事故が生んだダメージと、その負のインパクトにある。

津波の被災地は、とてつもない甚大な被害の前に、それでも身を奮い立たせ、復興に向かう人々の姿がある。

しかし福島は少し違う。除染が終わったとされ、住民帰還が促進されている地域でも、本当に戻っても大丈夫なのだろうか。前のように、コミュニティ自体が成り立つのだろうか。放射能への得体の知れない恐怖のみならず、それが生み出す社会構造的な問題とも相まって、復興の加速化に重しとなっている様子が感じられる。

震災以前、毎年恒例だった東北トリップでは、特に福島に足を運んだ。しかし震災後、状況は一変した。大好きだった岩沢海岸は、しばらくの間、背後の丘に廃炉作業の拠点を抱えることとなった。請戸、豊間などのすばらしいポイントも、しばらくサーフされることはなかった。

いまはポイントにサーファーが戻り、波乗りもできるようになったという。しかし、かつてのように美しく、透き通る水質を誇る浜に、本当に戻ることができたのか。少なくとも政府がなにを発表しようと、私たちの心には、どこか信用も安心も生まれない。

資源に乏しいぼくたちの国。安易にエネルギー政策を批判することはできないのかもしれない。しかし確かにわかったことは、原発は一度何か起きれば、取り返しのつかない結末を生むのだ、ということ。取り戻せないかけがえのないもの。それは自分の故郷かも知れないし、あなたの大切なホームビーチかもしれない。一度起これば、この顛末は破壊的だ。

開けたら閉まらない、パンドラの箱。はたまたエデンの園でリンゴをかじってしまった、アダムとイヴの過ち。神は怒りとともに、私たちに試練を与え続けるのかもしれない。

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2015年8月、富岡町にて

ぼくたちの向かう先

津波からの復興では、巨大な防潮堤の建設の是非が論じられている。安全と自然との共生、環境問題。異なる住民間の意見。本当に難しい問題。どうしたらいいのだろう。

原発の再稼働。資源小国日本にとって本当に不可欠なエネルギーなのか。あるいは当面は耐え難きを耐え、代替エネルギーと技術革新で、新たな時代を切り開くべきではないのか。

本質は、私たちが現代的な生活スタイルを作り上げ、それを維持するために、自然を自分たちの都合に合わせて変えようとしてきたことにあるのだろう。そして自分もその現代社会の恩恵中に浸っている。

クルマにのって、スマホでインターネット使って、電気を煌々とつけて、こんなことを論じるべきではないと批判する向きもあるだろう。そのとおり。少なくとも、このままではいけないことだけはわかっている。では、ぼくは、ぼくたちはいったいどうしたらいいのだろう。

電気も水もない暮らしが、まだすぐそこに残る、アフリカの田舎のビーチで、こんなことを考えた。ここでも手付かずの海岸線のはずなのに、近年どんどん侵食が進んでいる。地球温暖化。遠い場所での開発による砂の消失と固定化。リアリティは開発から程遠い、こんなところにまで及びつつある。

東日本大震災から8年。ぼくの心は未だ余震で揺れている。だが悩んでいても始まらない。自分にもできる、自然と環境のための具体的なアクションにコミットしていきたい。2019年、3.11の思い。

(おわり)