なみのりとむのサーフィン・サファリ日記

アフリカ、ギニア湾岸在住。毎週末の波乗りがサーフィン・サファリです。

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イベントレポート「パタゴニアが考えるサーフビジネスのありかた」〜30年後もいつものフィールドで遊ぶために

3月29日(金)、東京・裏原宿に位置するパタゴニア・サーフ東京で行われたトークイベント、

「パタゴニアが考えるサーフビジネスのありかた」

に参加してきた。

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アフリカにいると波乗りはできるにはできるが、なにせこういう意識高い系のイベントに触れることがない。このイベントには大注目、帰国直後の忙しい予定を強引にやりくりして参加させてもらってきた。

とても心に残るセッションだったので、少しそのレポートを綴ってみたい。

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29日19時。イベント開始を前に、パタゴニア・サーフ東京は、すでに満場の参加者であふれていた。会場のコーナーには、バーコーナーが設けられ、「一杯が地球を救う」と冠されたオリジナルのルート・エール・ビール。

www.patagonia.jp

またオーガニックなおつまみが用意されていた いわく、「口に入るまでのストーリーも楽しんでほしい」。口にも、目にも美味しいオードブル。

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パタゴニアの黎明と成長

セッションは、パタゴニア日本支社の創始者・藤倉克己氏、プロサーファーでパタゴニア大使の眞木 勇人氏、同社で環境コンセプト主流化を推進してきた篠健司氏のトークで進められていった。

話題はまず、パタゴニアの黎明期から、近未来のビジネス展開に向けて展開していった。

いまは日本のアウトドア業界で確固たる地位を確立しているパタゴニア、しかしスタートは横浜の小さなワンルームアパートからだった。創始者・藤倉氏の実家から送られてきた仕送りの段ボール。「鯉の餌」と書かれたカートンの上で、ワープロを打つスナップが、黎明期のリアリティを物語る。

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日本では知られていなかったパタゴニア、しかし藤倉氏はある点に注目していたという。

「当時からアメリカ人のジャーナリスト、大学教授など、自然を愛好する知識人に好んで着用されていた。」

そして「もともと自分たち、そして身近な隣人たちが欲しいものをつくっていくのがパタゴニアのスタイル」。コンセプトは次第に自然を愛する日本人の間にも受け入れられていった。

パタゴニアが今後も提案していくプロダクツ開発の方向性をよく示すエピソードとして、藤倉氏が口を切り出したのは、自ら米国本社で携わったウェットスーツ開発だ。

極寒の地、アラスカで潜水の任に当たるコーストガードたち。氷点に近い水の中での行動には、厚さ1センチを超えるウエットの着用を余儀なくされていた。それはおよそ人間工学に見合うものではなかった。

パタゴニアは、そこにトレッキングでいう「スピードクライミング」の概念を導入した。重装備で時間をかけて山頂を目指すスタンダードな方法に対して、軽装備で一瞬を捉えて登頂を狙うトレック。動きやすく、相応に暖かいウェットの開発は、極寒の地のレスキューダイバーたちのオペレーションを大きく変えることに貢献した。

「パタゴニアが軍を支援するとはなにごとか、と批判を受けたこともある。しかし私はそうは思わない。むしろ大切な人や、海に生きる『仲間』たちの命を守るるのは、ごく自然なことではないか。」

パタゴニアは、これからも、自然を愛する人々が必要とし、欲しくなるようなプロダクツの提供を目指す。

開発とサーフツーリズムのあり方

パタゴニア・サーフアンバサダーを務める真木勇人は、沖縄を拠点に、日本全国、そして世界を旅しながら、自然の中での生活スタイルを貫いている。

「日本一周のサーフキャンプツアーにはドラム缶を携行し、どこでも五右衛門風呂を沸かして入浴した。魚は買ったことがない。海が自分の魚屋さん。」

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サーフガイドやトリップレポートのほか、海にかかわる様々な活動を展開している。

「っていうか、遊ぶことばかり考えてるんだけどね笑。」

真木氏は、大洋州の島国・パプアニューギニアの観光大使も務めている。

「以前、大洋州に浮かぶソロモン諸島を訪問した。外国企業の資源搾取への反発から、市民が蜂起。内戦となってしまった。もともと島の資源は、住民のもの。サーフィンにも同じような考え方が必要なのではないかと思う。」

確かに、よい波も島のもの。地元の人々がその還元を受けないのは理にかなわない。また、大人数のサーファーがドカドカと入ってきて、我がもの顔でビーチを荒らす光景は、地元の人々も顔をしかめて当然だろう。

海の恩恵を地元の住民に。波を楽しませてもらう引き換えに、サーファーには応分のフィーを払ってもらう。そして現地社会との調和を大切にするため、そこに入れる人数を制限する。そんなスタイルの「サーフツーリズム」を提案している。

「環境、社会との調和が、サーフツーリズムの持続性のために必要だと実感する。」

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これからの日本のサーフィン文化と業界

藤倉氏が渡米の道を歩んだ背景には、日本のサーフカルチャーの「影」の部分が影響しているという。

「ギスギスした日本のビーチや、どこか漂う縄張り意識。そんなことから逃れたいという気持ちが、自分をカルフォルニアに向かわせた。」

そこで目にした光景は、確立したローカリズムと、他人を受け入れる寛容の並存だった。

「ビーチで子供と共に駐車場待ちをしていると、ある車が出て行くのと入れ替えに、他の人が割り込んで入ってきてしまった。それを見ていた周りのサーファーから『あなたは先に待っていた。彼にそれをしっかり主張すべきだよ。』と促された。恐る恐る、彼にそのように主張したら、『ごめんごめん、先に待ってたって知らなかったよ。ここ止めて!』って。その駐車場を譲ってくれたんですよ。」

日本のビーチだったら何が待ち受けていたであろうか。他人を思いやる、譲り合う、仲間同士の意識。とかくギスギスしがちな日本のサーフポイント。しかし僕らのサーフカルチャーも変わって行く必要がありそうだ。

なみのりとむも、サーファーの社会的役割について質問をしてみた。

「海にまつわるさまざまな環境問題。私たちサーファーは敏感であるのに、あまり発言が受け入れられることはなかった。僕たちはどこか脱社会的で、社会的貢献が少ないと思われてきた。そして無力のまま、大切なポイントをいくつも失ってきた。しかし少しづつ変わりつつある。これから僕たちにもできることはあるのでは。」

藤倉氏の回答はこうだ。

「以前、ドカリポイント(千葉・夷隅)がテトラ投入で消失した時、パタゴニアは意見広告をリリースした。美しい波が立つポイントの写真とともに、たった一言を添えて。このポイントは消滅した、これでよかったのか、と。」

そして環境問題については、「過去を批判的に振り返るより、未来に向かって、建設的に行動することが大切。」

言葉よりも行動を、30年後もいつものフィールドで遊ぶために。パタゴニアの提案する環境との共生は、僕たちサーファーにとてもしっくりくるコンセプトだ。今回のイベント、サーフビジネスの未来を切り口に、環境や開発、サーフコミニュティのあり方などにも視座を与えてくれた、意義あるイベントだった。パタゴニア日本支社30年の記念にふさわしいトークセッションだった。

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(おわり)