なみのりとむです。波乗りからちょっと離れる話だけど。
もう15年以上にもなるだろうか。 千葉のホームポイントに通う行き帰り、いつも気になって目をむけてしまう家があった。 山間の幹線道路沿いに佇む、一軒の古民家。平屋の瓦作りで、いかにも田舎の家。
春はウグイスと桜に囲まれ、 初夏には新緑が目に痛いほど。 夏は朝日を浴びてサンサンと輝く縁側。 秋は紅葉に生える夕日。 冬は薄暗い朝日に、夜露と霜でキラキラ輝く屋根瓦。
家を見ているだけで、おばあちゃん夫婦の笑顔が思い浮かんでくる。 縁側での日なたぼっこ。床の間にかまどの土間。 そう、懐かしい「田舎のおばあちゃんの家」。理想のふるさと。 いつしかその家を見るたびに、微笑ましいきもちに包まれるようになった。
・・・その後、自分は何年間かの間、アフリカに赴くこととなった。 あまりに遠い南の国で、いつしか古い田舎の家のことも、想像上のおばあちゃんのことも、どこか記憶から消えてしまっていた。
2年ほどたった夏に一時帰国をした。いつもの道を辿って、ホームブレイクに向かった。 そして、かの「おばあちゃんの家」の前を通過することを思い出した。 「おばあちゃんは元気だろうか。」 アクセルを少しだけ緩めながら、通りがかりに目を凝らしてその家を覗いてみた。 しかしそこにはかつての温もりはなかった。
雨戸が硬く閉じられ、家に続く道には雑草が茂り始めていた。 その家には、ここ数ヶ月、人が足を踏み入れていないことを物語っていた。 自分が見ていなかった2年の間、一体おばあちゃんたちに何かおきたのだろうか。
一時帰国の間、何度もその家の前を通過した。 しかし雨戸が開かれることはなかった。 心が痛んだ。
その冬に再び、年末年始に帰国をした。 いつものビーチに車をむけた。 おばあちゃんの家はどうなっただろうか。
薄暗い朝焼けの中、ぼくの田舎の家がみえてきた。 おばあちゃん家はますます雑草で覆われ、枯れた草木の向こうにほとんど見えなくなっていた。 自分とは何の関係もない家のはずなのに。 胸がチクチク痛んだ。ますます悲しくなった。 見たこともないおばあちゃんなのに。
早いスピードで移りゆく時代、でも変わらないものはいつもそこにある。 どこかそう信じていた。 自分の中で、理想のおばあちゃん家がそのひとつだった。
でもそうではなかった。
遠く南の国に離れている間、時は流れたということ。 気付かされた。 忘れてはいけない、「いま」大事にしなくてはならないものがあると。
・・・・波乗りには関係ない話でした。すみません。
(注)挿入写真は、そのおばあちゃん家そのものではありません。あしからず。
(おわり)